
2018年10月23日 0018:食卓にくだものがある幸せ
食卓にくだものがある幸せ
50数年前、くだもの屋のセガレとして生まれた僕にとって、食卓にくだものがあるのは当たり前だった。
そして、どこの家族も晩御飯の後はデザートにくだものを食べてると思いこんでいた。
(あっ、うち裕福ではありません。むしろ貧乏でした。でも、売れなくなったくだものがいつも食卓にあったんです。)
ところが、ある日、うちに遊びに来たお菓子屋のよっちゃんが「毎日くだもの食べられていいなぁ」と呟いた。
むしろ僕からすると、「よっちゃんこそ毎日お菓子食べられていいなぁ」だ。
でも、よっちゃんは「お菓子は飽きるっちゃん」という。
確かに、くだもの毎日食べて「飽きる」はなかった。
高校卒業まで、ほぼ毎日くだものを食べてきた僕のカラダは、半分くだもので出来てるといっても過言ではない。
高校卒業後、程なくして、「クローバーフルーツかじわら」は閉店。コンビニに業態転換した。世の中の流れには抗えなかった。近くに大きなスーパーができ、八百屋、肉屋、魚屋など◯◯屋が町中から少しづつ消えていった時代だった。
あれから30年が過ぎた
コンビニへの業態転換は正解だった。
あのままくだもの屋をやっていたら僕は大学を中退しなければならなかったかもしれない。
それとは引き換えに
僕はくだものを食べる機会がほとんど無くなった。
盆暮れに帰省した際、スイカを食べるか、みかんを食べる程度。
おそらく、死ぬまで、食卓で山盛りのくだものを目にする事はないと思っていた。去年までは。。。
そして
30年ぶりに食卓がくだもので賑わっている。
(実は昨日まで、ここに桃が加わっていた。写真に残せず残念、、、)
嬉しくなって写真を撮ってしまった!
血が騒いだのかもしれない。
なんせ、カラダの半分はくだものでできているもので😆
食卓にくだものがある幸せを30年ぶりに感じている!
いや、むしろ当時は当たり前と思っていたので今の方が幸せ度はデカイ!!