ふくおか食べる通信 | 0038:「発生型から設定型へ」
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0038:「発生型から設定型へ」

0038:「発生型から設定型へ」

 このブログを書いている今、8つのタスクが同時進行しています。タスクとは期限のある仕事の一単位という事らしいので、正確には8つのプロジェクトで20近いタスクが同時進行しています。このブログを書くこともタスクの一つです。

 会社員時代も多くのタスクをこなしていました。いやまさに、「こなしていた」というのが適切な表現でした。タスクというのは基本的に期限があります。つまり締め切りがあるわけです。その締め切りを遵守することが最優先で、タスクの完成度はその次。

いわゆる、緊急性が重要性を上回っていることが多かったように感じます。

 会社員時代は、日々のタスクをこなすことで1日が終わり、そしてまた次の日が始まる。そんな日常を重ねることが多かったように感じます。

 ところが現在、会社員時代以上のタスクを目の前にしているものの、「こなしている」という感覚が無いのです。もちろん締め切りがあるので、そこは遵守です。ただ、一つ一つのタスクに向き合う姿勢が明らかに違っているんです。

 それはなぜなのか? 「独立すると、意識が変わるから」と一般的に言われることはあります。それ自体は間違ってはいないと思いますが、具体的にはどんな意識が変わるのでしょうか。

 あれこれ考えながら行き着いた仮説は、「発生型のタスク」と「設定型のタスク」の違いではないか、ということです。会社員時代のタスクは、その多くが会社のどこかで発生した課題を解決するためのタスクでした。例えるなら、「上から降ってくるタスク」。

 一方で、今のタスクは自ら課題を設定しそれを解決するためのタスク。例えるなら、「自分で生み出したタスク」と言えます。後者の場合、自分が課題だと思わなければ、一生課題設定されることはありません。あえて自ら設定した課題解決のためのタスクだからこそ、そのタスクに向き合う姿勢が違うのだと感じます。

 これは、仕事だけに限ったことではありません。最も身近な自分の人生においても同じことが言える気がします。「自分はどんな人生を歩みたいのか」。この問いは極めて重要な問いですが、緊急性を伴うものではありません。つまり締め切りが決められている問いではありません。

 しかし、ある日突然余命が宣告されたとしましょう。つまり締め切りが決められた。途端に、今考えるべき問いに変わるわけです。これは、ある日突然降ってきた発生型のタスクと似た構造と言えます。

 そうではなく、いつかくる締め切りを踏まえ、自分の人生を設定型として向き合ってみる。それには、自らの人生に問いを立てるしかないわけです。緊急性に振り回されて、重要なことを見失ってないか。「発生型」で捉える人生か。それとも「設定型」で捉える人生か。みなさんはどちらですか。8つのタスクに向き合いながら、そういう事をつらつら考えてみました。